やまない雨の愛し方

「頑張りたい」は最後のウソ : 波田紗季

イジメ②授業中に退室!

ひたすらネガティブに物を考える

悲観モンスターと化した私はひたすらいじめに耐え、家で大泣きする日々が続いた。

 

 

発表はなくなりません。

登校している以上、私だけ当てないでというわけにもいきません。

 

憂鬱な日々でした。

 

 

主犯格の男子だけでなく、その友達ぐらいのポジションの奴らにまで見下される日々。

同棲のギャル達にまで露骨に見下されキモい人扱いされてゆく。

 

 

まぁ、中学生のイジメなんてステータスのひとつ。考えれば普通の運びなんだけど当時は辛かったなぁ。

 

 

 

私はというと

当時は勉強は出来る方で、特別容姿でなにかいじられるような点はなく、発表以外にどうしようもなく出来ないことなどなく、友達もちゃんといました。

 

もう、本当に発表だけで。

それさえ並みにできれば彼らも何も言わないの分かってるんです。

 

 

でも、できない。悔しくて悲しくて。

 

 

 

ある日、母から

証拠を残すように言われました。

何時何分に誰に何を言われたか、すべてメモにとってまとめて訴えようと。

 

 

その日からノートの端に

自分の言われたことをコツコツ書いていました。  

 

あれは今思いおこしても 

人生で一番辛い作業。

 

そんなことして何になるのか。

もう思考の働かない14歳の私。

イジメられた経験などなく、気が狂ったように泣き続ける娘をどうしたらいいのか分からない母。

 

 

イジメっ子の言い分は分かります

アイツがキモいから悪いんじゃん。

キモくなかったら別にイジメんし。

 

 

ですよね。そうですよね。私だってちゃんとしたい。みんなできるのに出来ない私がダメな人間なんだ。

 

根付くこの思い。

黒く渦巻く負のオーラとなり私を取り巻いていたことでしょう。

 

 

悲しい事件が起こります。

 

 

 

主犯格「の付く女子がキモい。ブッ。クスクス。」

取り巻き「の付く女子てアイツだろ?笑」

 

 

数学の授業中、教室中に聞こえるくらいの声で雑談が始まりました。

 

 

 

 

悲しみ悔しさいたたまれなさがグワッと込み上げ体が固まる。

 

 

書くんだ。今の時間、今言われたこと、誰に言われたか。

泣いちゃだめだ。書くんだ。書くんだ。書くんだ。時間。言われたこと。誰に

 

おいっ。なの付く女子て誰のことや!おい!!!!

担任の先生でした。怒鳴られて主犯格たちはビビります。

 

 

担任の先生には親子でイジメの相談を何度かしていました。終わらないイジメに堪忍袋の緒が切れたのでしょう。

 

 

 

泣いちゃだめだと思ってたけど

もう、もう、悲惨な顔になっていたのでしょう。

 

「大丈夫か?一回出るか?」と言われるがままに涙を堪えて俯いて退室しました。

 

 

 

保健室につれられ

初めて次の時間の授業をさぼりました。

 

大ごとになってくれて、もしかしたらイジメが減るかもしれないという期待と

保健室の外ではみんな普通に授業をしているんだと思うとやるせない気持ちにもなりました。

 

 

私も普通になりたかった、、、。

 

 

こんなことを考えていたとおもいます。

 

 

 

保健室に親友が迎えにきてくれました。

涙を流してくれました。

 

イジメに加担していたギャルの子にも謝ってもらえました。

 

 

主犯格や、その取り巻きからは謝罪はありませんでした。

誠に残念ながら私が20年近く根に持ちましたので彼らには年季の入った呪いがかかっています。大人げなくてすみません。苦労してくださいね。

 

 

 

中学校時代、この後もう少し書きます。

 

 

 

 

イジメ①キモッと言われる

これから私の人生の暗黒期を話します。

 

 

私は中学2年の一年間

同級生の男の子(とその取り巻き)から

イジメを受けました。

 

 

この出来事は私の自尊心を大いに傷つけ

その後15年近く蝕まれ続け

なかなか払拭できずに生きることになりました。

 

 

選択のたび

何かのしらの評価を受けるたび

何かにつまずくたび

 

イジメを受けていた自尊心の低い私が顔を出し

自己評価を下げに下げるのです。

 

イジメや、両親の不仲、上司との関係などで

悲しいことがあった人

 

辛いことからは逃げたり、時が経てば解放されたり努力や成長の結果 問題で無くなったりしますが一度凹んだ心には適切なケアが必要です。

 

 

私は、イジメが終わってからも

砕けた自尊心、低い自己評価をそのままに大人になりました。

次つまずいた時の自戒の意味も込めて話していきます。

 

 

──────────────────

 

イジメの話を書くにあたって驚いたことがある。

あれだけ、人生の鎖のように扱ってきたこの出来事が目立つトピック以外あまり思い出せない。

 

忘れていくから、生きていけるのだろうなぁ。

 

逆に言えば昔のことで

つらかった

たのしかった

などニュアンスではなくしっかりと覚えていることは、よほど心に刻まれた出来事だったと分かる。

 

 

中学一年のときはごまかしていたのか

いじめを受けることは無かった。

中学二年に上がり、

何かで発表をミスることが続き

発表すると声が震えたり変な声になる(私だけかもですが発表時、声の出し方がわからなくなり普通にできなくなっていた)ことに気づかれました。

 

もともと声が小さかったこともあり

目立たず友達とひっそり学校生活を送っていたのですが見つかってしまってからが辛かった。

 

 

 

やばい、あいつ

マジキモイ

 

 

 

今思えば

今、思えば

 

私がマジキモイならばお前も同じくマジキモくないか???

 

というレベルの男子(悪意なくブス・チビ・バカだったと思います。)

ですが、社会コミュニティにおいて大事なのは

顔や身長や頭の良さではありません。

 

 

自分の意見を声に出して言えるかどうかです。

輪の中のムードメーカーであるかどうかと言った水準の高いことは言ってません。

人に流されるような性格や単なるイエスマンでも大丈夫です。その場しのぎでもなんでも、ちゃんと話す必要性にせまられたら上手くなくても苦手でも下手でも話せれば大合格!花丸です!

 

 

※いじめの理由が発表ができないという割と特殊なものだった私はいじめやからかいを受ける子を日々研究していましたが、特徴的に標的にされやすいのは不潔・太っている  でした。

いじめられている原因がここにある場合は改善・状況打破の道筋が描きやすいです。

 

 

 

話せないというトラウマができると

話そうという意識で生きなくなるので

自動的に考える力も落ちてきます。

 

発表で当てられる場面でも

何を言うか  ではなく

話せるかどうか しか考えられないのです。

 

 

見た目も身長もふつうで

あれだけいじめられながらも友達は普通にいたので性格に大きな問題は無かったのでしょう。

 

 

しかし、発表ができないことは

問答無用で

キモく、ヤバいらしい。

 

一年間、学校のある日はほぼ毎日家で大泣きしました。

毎日毎日何かされるわけではありませんでしたが、過敏になってしまい皆から見下されているような苦しい気持ちになるのです。

 

 

とても悔しいのに日々の自己否定も手伝い

どうしてもどうしてもどうしても発表できない。

 

 

笑われる。

気持ち悪がられる。

見下される。

男に言われる、というのが思春期だったので特に辛かったです。

 

いじめの主犯格はクラス内では地位が高いですしね。

 

 

合わない仕事は4ヶ月でパキッと辞めた今の自分からは想像できないほど当時の私は根性があり

学校を休んだら負けだ。思うつぼだ。不登校になったら負けなんだ。

そんな思い込みから休まず毎日学校に行きました。

 

 

下校中、校舎の窓から

「もう学校来んでいいよー!」

と言われたことがあります。

 

それも、いつもいじめてくる子ではない子から。

いじめられてるヤツは特に関わりや話したことが無くても傷つけていいと思われてるんだなぁと思いました。

すげぇチビでした。

 

私自身、男性の身長は全く気にしませんが

すげぇチビのよく知らん男子に失礼な言葉を投げられるほど自分の価値は低いのかと涙が溢れ出てきたことを覚えてます。

 

 

 

嗚呼、、、もう吹っ切れた過去の話なのに毒が出る。

 

 

サクッといじめの概要を書いたので

次にエピソードを話します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何故か歌が歌えなかった!

記憶にある小学生時代のエピソードをもう一つ。

 

 

 

まだ幼かったこともあり

人前で緊張して話せない事の重大さもよく分からず危機感を持たずに暮らしていた。

 

 

小学生の授業は別にそんなに当てられることもないし、決定打のような出来事は無かったのだ。

 

 

小学四年生くらいの時の話。

 

 

私は音楽の授業でみんなで歌を歌うことが大好きだった。

 

多分ポケモンくらい好きだったと思う。

当時のランクでいうと生きる喜びTOP3には入っていた。

 

 

みんなで円になって歌う。

合唱なので自分の声は良く聞こえないが、誰よりも口を大きく開けて一生懸命歌っていた。

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「なみだちゃんの声が一番大きくてすごいよ!」なんてたびたび言われたりして嬉しかった。

 

 

 

 

歌が大好きだった。

授業の中で1番楽しい時間だった。

 

 

ある日、

グループに分かれていつも合唱で歌ってる歌を楽器を使って演奏してそれを順番に発表する授業があった。

 

簡単に言うとバンドみたいな感じで

歌う人1人、木琴1人、シンバル1人、ピアノ1人

のようにグループで好きな楽器を使って演奏をしていくのだ。

 

 

歌が大好きで、歌に誰より自信のあった私は楽器が苦手なフリをして歌係に立候補。

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いつもはみんなで合唱だけど

一人で歌える‥‥! 

 

 

とてもワクワクしていた。

 

 

 

 

 

しかしこれが私が人前で1人で歌う最後になりました。

 

 

 

 

順番に演奏を行ってゆき

ついに私のグループの番に。

 

 

みんなの前に立って演奏が始まります。

特別、動悸がするとかも無かったです。

 

 

が。

 

 

 

声が、出ない。

 

クラス1大きな声で歌っていた私なのに

しぼりだしても蚊の鳴くような声しか出ません。

 

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「なみだ、歌って?」

 

歌ってます。

声出ません。

 

 

あまりの小さな声に、演奏を聴いてる子たちの耳には届かずわたしはボーカルなのにただ立ってる人。

 

 

私の歌唱が口パクみたいなもんなのを見かねた優しい親友が楽器担当なのに一緒に歌ってくれて事なきを得ました。

 

(ありがとう、、スウィートマイエンジェル、、)

 

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当時は

どうしてだろう、、歌好きなのに、、

くらいに思っていましたがやんわりと自覚したのもこの時でした。

 

 

 

シンプルに人前で声が出ない。

誰かのせいや状況のせいと言うより

私は発表ごとが苦手だ・・・。

 

 

そしてこれはその後の人格形成にも大きく影響する。このタイプはもう、元気で明るい子にはなれないのだ。

 

 

仲のいい友達といるときはひょうきん。 

好きなことはベラベラ喋る。

家族の前ではデカイ態度。

 

例えばそんな人間でも

社会的なコミュニティの中(学生時代は学校)で意見を言う・思いを伝える・己を表現するができなければ端っこを生きていくことを余儀なくされる。

いてもいなくてもいい役で存在する脇役かのように。

 

 

 

 

世界は、広い。

選択肢は、無限だ。

 

 

だけど渦中にいる時はそんなことは考えられない。

雨雲の下にいる時は、雨は降り続けるのだ。 

その雨雲の上がどんなに晴れていても、今降り注ぐ冷たい雨に心が持っていかれてしまう。

 

辛く、疲れて晴れた道の向こうまで行く体力を削りとられる。

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だけど大丈夫。

雨が降り続けても、私はちゃんと自分の人生を愛することができた。

 

 

この後の人生の予兆を感じる小学校時代を終え

私は中学生で同級生からイジメを受けることになる。気が変になるくらい涙を流す事になる。

 

全ての自尊心を傷つけられるが私の人生は終わらない。

 

イジメから学んだ事もあった。

 

 

全て綴って行く。

ちなみに20年以上の時をこえて

歌は歌えるようになる。

 

心配するな、幼い私。

お前には、29歳の私がついてる。

 

 

 

 

 

 

 

 

人前で話せなくなった!(前兆)

私の人生の中で、最も大きな出来事は

「発表ができない」ことでした。

 

 

苦手、という範疇のものではなく

人間関係や生き方、人生のあらゆる選択に

害を及ぼすレベルでできませんでした。

 

単なる、あがり症という言葉で片付けるには苦しすぎた日々。

 

 

 

 

 

 

さかのぼること20年以上前、

私はとてもおとなしい子でした。

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元々目立つことはあまり好きではなく

かといって

とても暗いわけでもなく

友達もたくさんいて楽しく暮らしていました。

 

 

 

しかし、小学生になった途端

 

この世界はちゃんと発言のできる人が評価され、それは性格に差があれどほとんどの人がちゃんとできるということを思い知るのです。

 

 

 

目立つ子や明るい子

賢い子だけではなく

 

 

普段おとなしい子も

いじられてからかわれている立場の子も

催促されなければ手を上げないような子も

声の小さい子も恥ずかしがり屋の子も

 

 

 

発表はできるんです。

やらないだけで。

上手くなくとも。

できるんです。

 

 

 

できる時点で、私とは別の生き物にすら思えます。

 

 

私が初めて明確に人との違いを認識したのは8歳の頃でした。

 

 

小学2年生の時

新米の先生が授業中に 

「クラス全員が手を上げて発表できたら今日の宿題は無しにしまーす!」と言いました。

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やだなぁとは思ったけど

その時はまだ自分に起こる出来事に気づいていませんでした。

 

 

宿題無し

という心踊る試みにクラス一丸となり盛り上がり、いつも発表をする子達がこぞって手を上げます。

 

発表した子は名簿に印が付けられ、まだ当たってない子が次々と当てられます。

 

 

「発表してない人早く手あげろよー!宿題なくそうや!」と

ムードメーカー達が促します。

 

 

すると、普段は手を上げないような子も

次々と発表を終えていきました。

 

 

 

や、やばい、、、

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残り数名になってきたところで

私と同じく手なんて上げたことないようなおとなしい子まで手をあげ出しました。

 

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「あと5人だよー!」なんて先生も盛り上げます。

 

 

いつもよりテンポよく進む授業。

楽しそうなみんな。

 

 

そんな中、発表どころか手を上げる勇気すら出ない私は涙をこらえていたたまれない気持ちを抑え込みながら下を向いていました。

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私の様子に気づいたとなりの男子が

「いいよ、発表しなくても」

と言ってくれました。

 

(今思えばこいつイケメンすぎませんか、、)

 

 

 

あと1人‥‥

 

その言葉を聞いた途端、涙が溢れ出しました。

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わんわん号泣する私に、先生がかけより

「ごめんね!ごめんね!嫌だったね!」と慰めてくれました。

 

 

「全員発表なんてやめようよー!私だっていやだったしー!かわいそー!」なんて声も出てました。

 

 

今思えば、

29歳の私よりだいぶ年下であろう新米の先生に申し訳ない話です。

 

クラスは盛り上がっていたし

先生の試みは素敵でした。

 

 

 

 

この経験が、後に長きに渡る絶望の始まりです。 

 

発表出来ないことをかわいそうと言ってもらえるのはせいぜい小学校までです。

 

 

だけど最初は、こんな無くもないような出来事から幕は上がったのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自己紹介。私のこと。

こんにちは、波田紗季です。

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私は学校を卒業してからずっと

アパレルで販売員。店長でした。

同じ会社で正社員で働いていました。

 

 

 

今年、会社を辞め派遣にて事務員に転職するも

4ヶ月で退職。

ただいま無職です。29歳です。

毎日予定無いけど動ける無職になるべくたまにジムへ。

 

 

 

趣味は特にありません。

(落ち着いて下さい。無理やり出せばあります。)

 

特技ももちろんありません。

(安心してください。無理やり出せばあります。)

 

学生時代は美術部(みたいな帰宅部)でした。

 

 

 

あれ?個性??

月の無い夜みたいな人生送ってる?大丈夫??

 

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気質もあるけれど、子供時代からの

いくつかのきっかけで

極度のネガティブ思考に。

 

こんなことで胸をはられても困ると思いますが

まだ自分よりネガティブな人に会ったこと無し。

(もしや私を上回る方はあまり社会に出られていないのでは・・・)

 

 

いつも

もっと幸せになりたい

という思いに溺れていて

どうしたら願いが叶うのか模索。

 

 

結局その都度ネガティブ思考に流されるという経験ばかりしていました。

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そんな私の半生にも、振り返ってみると

小さなキセキや達成が散りばめられています。

 

どう考えても国の水準より難しく厄介なタイプの自分との向き合い方も見えてきました。

 

 

このブログでは

・人前で喋れなくなった学生時代

・パパが、怖かった

・いじめで心が潰れた中学二年生

・話せないコンプレックスが巻き起こしたこと

社会不安障害(SAD)と診断されて

・他者比較を繰り返し自信を失った過程

・不安との戦い

・過剰反応でこじれた人間関係

・人前で喋れなかった私が接客業

・人前で喋れなかった私が店長に

・上司との出会い  人生に雷(悪い意味で☆)

・好きなことで生きていく(好きなことは無い)→退職

・人生のターニングポイントとは

・自分の気質について本気で考えたこと

 

 

などなどゆっくり話していきます。

 

 

 

心の問題で前に進めない気がしている方

人生くすぶってる気がしてならない方

格下の生き様を見てホッとしたい方

ヒマな方

 

誰かの何かのきっかけになりますように~!

 

 

 

 

女無職独身29歳、夏。

平成最後の夏、私は無職独身29歳だった。

(ちなみに彼氏もいない。実家暮らし。)

 

 

分かっている。落ち着いてほしい。

救いようは無い。

 

平成最後どころの騒ぎじゃないラインナップに目がくらむ。

夏を彩りすぎだろう。

 

 

誰だって辛いことはあるだろう。

もっと大変な人だって沢山いるだろう。

 

 

しかしこれは私の中では機密にあたる。

うかつに触れられると心が折れる

 

 

 

こんなはずではなかった。

記憶の中の昔の自分に謝りたい。

 

20代後半からババア扱いされる

女性の年齢に手厳しい国に暮らしながら

30歳を目前に彼氏すらおらず独身。

 

結婚だけが悩みならまだいい。

悩みの種はいくらでもある。

 

 

仕事は?

29歳でやりたいことも特にないって何事?

特技も無いのに職を選ぶの?

29年何してたの?あとちょっとで三十路だよ?

まわりは結婚してるのに。

企業も男性も、これといった長所がないなら若い方がいいに決まってるよ?

この歳で無職で実家暮らしって親に申し訳なくないの?

 

 

ち、ちょっと落ち着いてほしい。

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誰にも言われてなくても

耳をすませば社会の常識が全身に迫り来る。

 

 

 

そんな最中、時間だけはあったので

生きづらさ

について徹底的に考えた。

 

 

私は、恵まれない人間ではない。

かれこれ1カ月働かずとも生きていられる。

親もいる。どう考えても幸せ者。

 

でも、それでも、、、。

 

釈然としない日々の息苦しさ。

辿り着いた不安の根源と

私の半生をここでこっそりお話する。

 

 

夢は与えられないが、

希望は創れるはず。

 

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平成最後の夏は

私にも平等にちゃんと、暑かった。