やまない雨の愛し方

「頑張りたい」は最後のウソ : 波田紗季

人前で話せなくなった!(前兆)

私の人生の中で、最も大きな出来事は

「発表ができない」ことでした。

 

 

苦手、という範疇のものではなく

人間関係や生き方、人生のあらゆる選択に

害を及ぼすレベルでできませんでした。

 

単なる、あがり症という言葉で片付けるには苦しすぎた日々。

 

 

 

 

 

 

さかのぼること20年以上前、

私はとてもおとなしい子でした。

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元々目立つことはあまり好きではなく

かといって

とても暗いわけでもなく

友達もたくさんいて楽しく暮らしていました。

 

 

 

しかし、小学生になった途端

 

この世界はちゃんと発言のできる人が評価され、それは性格に差があれどほとんどの人がちゃんとできるということを思い知るのです。

 

 

 

目立つ子や明るい子

賢い子だけではなく

 

 

普段おとなしい子も

いじられてからかわれている立場の子も

催促されなければ手を上げないような子も

声の小さい子も恥ずかしがり屋の子も

 

 

 

発表はできるんです。

やらないだけで。

上手くなくとも。

できるんです。

 

 

 

できる時点で、私とは別の生き物にすら思えます。

 

 

私が初めて明確に人との違いを認識したのは8歳の頃でした。

 

 

小学2年生の時

新米の先生が授業中に 

「クラス全員が手を上げて発表できたら今日の宿題は無しにしまーす!」と言いました。

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やだなぁとは思ったけど

その時はまだ自分に起こる出来事に気づいていませんでした。

 

 

宿題無し

という心踊る試みにクラス一丸となり盛り上がり、いつも発表をする子達がこぞって手を上げます。

 

発表した子は名簿に印が付けられ、まだ当たってない子が次々と当てられます。

 

 

「発表してない人早く手あげろよー!宿題なくそうや!」と

ムードメーカー達が促します。

 

 

すると、普段は手を上げないような子も

次々と発表を終えていきました。

 

 

 

や、やばい、、、

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残り数名になってきたところで

私と同じく手なんて上げたことないようなおとなしい子まで手をあげ出しました。

 

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「あと5人だよー!」なんて先生も盛り上げます。

 

 

いつもよりテンポよく進む授業。

楽しそうなみんな。

 

 

そんな中、発表どころか手を上げる勇気すら出ない私は涙をこらえていたたまれない気持ちを抑え込みながら下を向いていました。

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私の様子に気づいたとなりの男子が

「いいよ、発表しなくても」

と言ってくれました。

 

(今思えばこいつイケメンすぎませんか、、)

 

 

 

あと1人‥‥

 

その言葉を聞いた途端、涙が溢れ出しました。

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わんわん号泣する私に、先生がかけより

「ごめんね!ごめんね!嫌だったね!」と慰めてくれました。

 

 

「全員発表なんてやめようよー!私だっていやだったしー!かわいそー!」なんて声も出てました。

 

 

今思えば、

29歳の私よりだいぶ年下であろう新米の先生に申し訳ない話です。

 

クラスは盛り上がっていたし

先生の試みは素敵でした。

 

 

 

 

この経験が、後に長きに渡る絶望の始まりです。 

 

発表出来ないことをかわいそうと言ってもらえるのはせいぜい小学校までです。

 

 

だけど最初は、こんな無くもないような出来事から幕は上がったのでした。